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	<title>ユミソンコラム：somo*somo</title>
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	<modified>2008-05-02T04:12:38Z</modified>
	<tagline>「賑わい創りの道具や」が提供する、現代美術家ユミソンのつれづれコラム。毎月第一・三金曜更新！[ただいま運行期間中]</tagline>
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		<title>売れない？展覧会の作り方：002</title>
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		<issued>2008-05-02T13:03:01+09:00</issued>
		<modified>2008-05-02T04:03:01Z</modified>
		<summary>さて、今回は展覧会を運営するための予算について書いていこうと思います。最初に断っておきますが、ここに書いてある展覧会を運営するための方法は、たくさんある中の一つです。他にも様々な方法がありますので、こ...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>売れない？展覧会の作り方</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[さて、今回は展覧会を運営するための予算について書いていこうと思います。<br />
最初に断っておきますが、ここに書いてある展覧会を運営するための方法は、たくさんある中の一つです。他にも様々な方法がありますので、これが全部だとは考えないでください。他の方法も何かの機会で少しずつ紹介できればと思います。<br />
<br />
では本題に入りますね。<br />
まずギグメンタのような展覧会を開催するにあたって、必要な経費というものがあります。そして、出費があるのならそれをまかなう収入が必要になってきます。少しややこしいですが、今回の展覧会の運営は「美学校」ではなくて「ギグメンタ実行委員」です。（「美学校文化」を「ギグメンタ実行委員」が紹介していく展覧会という形です。）ギグメンタ実行委員がある程度の貯蓄があって、展覧会を開催・運営できれば良いのですが、実行委員会は普段、何かを売ったり営利経営をしたりしていないので、収入がないのです。<br />
<br />
実際に展覧会に必要な経費はどれくらいかかるのか、考えてみましょう。<br />
・会場費<br />
・広告費（DM制作、プレス発送、WEB制作など）<br />
・設営費<br />
・作品の保険や、運搬費<br />
・人件費<br />
・記録費<br />
・雑費<br />
などなど、ぱっと思いついたままを書き出してみました。<br />
<br />
ギグメンタではダンスやトークショーなどのイベントが多いので、講師料や出演料も出費としてかかります。お客さんが座る座布団や、音響や照明設備を動かす技術者も必要経費としてかかります。また、展覧会で芸術家や画廊から作品を借りる場合もあるので、そのレンタル代や保険、運搬にかかる費用なども考えなくてはいけません。作品の運搬は美術運搬と呼ばれ、専門の美術運送屋さんに作品保険を含めてお願いすることが多いです。保険代は作品の金額にもよりますし運送費は距離や大きさにもよりますが、普通の宅配便の5倍から多くなると10倍近くかかることもあり、一般の運送代よりは割高なのが現状です(当たり前ですよね…)。<br />
<br />
余談ですがそんなに高価でない作品や、個人で展覧会場や美術館に送りたい時には「赤帽」さんが、丁寧に扱ってくれるし運ぶのも手伝ってくれるので意外と便利です。ただ、美術運搬に慣れていて丁寧な運転手さんと不慣れな人がいるので、美術運送に評判のよい特定の赤帽さんがいるようです。ユミソンは赤帽さんの宣伝係りではないので（笑）、知りたい方は直接サービスセンターに電話をしてみてくださいね。<br />
<br />
今回は一部の作品の価格が一千万円を超えていたので（個人で保険がかけられるのは900万円までと聞いたので）、専門の美術運搬屋さんに保険も含めてお願いいたしました。いろいろと工夫をして少しでも経費を抑えてみましたが（と言っても本当のところは、人の好意を頼りにお願いをして回ったというだけです(苦笑)）、抑えきれるものでもありません。<br />
<br />
ところで、一般に企画ギャラリーは作品が売れた場合、ギャラリーと作家の取り分の比率は5：5と言います。ユミソンは作家でもあるので、「がんばって作品作っているのに、半分もギャラリーに持っていかれるなんて！」と心の奥でギャン！としていましたが（とはいえ、売ったことはないですが）、諸経費を考えると半分頂いても運営は大変な状態なのが今回わかりました。そして今回、作品の販売はしていないので、半分どころか一ミリも作品から入る収入がありません！<br />
<br />
作品を借り入れて、保険をかけて、運搬して、設営して、照明などの環境を整えて、会期中は監視して…たくさんの作業や経費がかかるのに、収入はありません。ただ、観客に見てもらうだけです。観たからといって、「私たちの思想に同調しろ！」と強制することも「ねぇ、ほめて！」と迫ることもありません。<br />
<br />
展覧会を一つの商売と考える人もいますが、そうでない部分も確実に含まれてるし、やっぱり経済活動も含まれているような、難しいというか面白い事象だと思います。ギグメンタは利益を得る為に運営をしているわけではありませんが、損失をまかなえるほどの経済力を持っているわけでもありません。大げさに言うと、「美学校文化」を再認識することにより、今後の芸術文化発展に繋がることは、経済より勝る目的なのです。噛み砕いて言うと、「結構やばい。みせたい！」という感じです（笑）。<br />
<br />
そんなこんなでギグメンタにかかる予算を算出したところ、340万円という計算になりました。これは受付や運営スタッフはボランティアで…という最低限の見積もりです。（実際に展覧会が終わったときは予算とは少し違ったところでお金がかかったり、かからなかったりということもあって、運営の勉強になりました。）<br />
<br />
さて、この340万円。どうやって、どこから用意すればよいのでしょう？？？<br />
つづきは次回に！]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>売れない？展覧会の作り方：001</title>
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		<id>http://somosomo.yumisong.net/log/eid68.html</id>
		<issued>2008-04-19T16:14:14+09:00</issued>
		<modified>2008-04-19T07:14:14Z</modified>
		<summary>こんにちわ。ユミソンです。最近ここの更新もめっきり少なくなってしまっていてごめんなさい。ユミソンはここ半年ほど、ある展覧会の立ち上げと運営に関っていました。しばらくはその展覧会について書いていきたいと...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>売れない？展覧会の作り方</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちわ。ユミソンです。<br />
最近ここの更新もめっきり少なくなってしまっていてごめんなさい。<br />
ユミソンはここ半年ほど、ある展覧会の立ち上げと運営に関っていました。<br />
しばらくはその展覧会について書いていきたいと思います。<br />
展覧会の名前は「ギグメンタ2008-美学校1969年の現在-」展です。<br />
<a href="http://gigmenta.org/" target="_blank">http://gigmenta.org/</a><br />
<br />
「ギグメンタ」とは「ギグ（短いセッション）＋メンタ」造語で1986年に美学校の学生たちで学校とは関係なく立ち上げた展覧会の名前が由来です。そのギグメンタの2回目が20年後の2006年に行われ、またその2年後の2008年に今回の3回目が4月1日から13日まで行われました。<br />
<br />
今回は美学校の40周年を振り返ってみようということで、大きな展覧会になりました。<br />
発足会議の中で、ギグメンタというタイトルだけでは何を意味しているのかわからないから、副題をつけようということになりました。<br />
最初は「美学校40周年記念展覧会」などの名前があがりましたが、卒業制作展覧会を開くという趣旨ではないので、その違いも含ませながらも短い副題をつけるのは中々難しい課題です。<br />
<br />
展覧会の内容を見るとわかるのですが、美学校卒業生が中心でもなく（もちろん卒業生や在校生の作品もありますが、自由参加です。）、一見すると美学校とまったく関りあいのない作家たちが多く参加しています。<br />
たとえば、若頃遊びには来たことがあるけれど通ったことのないみうらじゅんさんを始めとするガロに関る漫画家たちや、授業を持ったことのない舞踏家のダンサーたちが数多く参加しています。<br />
<br />
今回の展覧会は『美学校の卒業生を紹介する展覧会』ではなく、『美学校文化を振り返る展覧会』なのです。<br />
なので在籍していたかどうかが問題なのではなく、美学校に通じる時代を作っていたかが問題なのです。<br />
展覧会の基準が明文化しずらく、曖昧で感覚的なところが中心というのも、美学校の特色の一つかなとユミソンは個人的に思いました。<br />
<br />
この展覧会の運営に関ったユミソン自身も美学校に関りあいがあると言えばありますが、（晩生の場をいつも美学校を借りていますし）校長先生と仲良しですが、他の先生や生徒さんのことをよく知らないので、薄いといえば薄いのも実際です。<br />
そんなユミソンでもガッツリと制作や運営に関ることになったのは、美学校らしいからだと校長先生に思われたからかもしれません。<br />
もしくは美学校は志は高いものの、有名だったり利益が多い学校とは反対の貧乏学校なので、同じような貧乏アーティストのユミソンだから誘ったのかもしれません(笑)。<br />
<br />
話を戻しますと、副題に『40年』と書くと時間軸を強調しているような印象になります。<br />
でも美学校の展覧会が言いたいことは「歴史があるよ！」よりも別の何かではないかとユミソンは思いました。<br />
40年前の現在に利益の為では無く、しかるべくして開校に至ったということが、重要ではないかと考えました。<br />
美学校の発足は1969年です。最後の年とはいえ60年代の時代が求めた結果、生まれた学校です。<br />
（補足ですが、美学校は「自立した学校は可能か」という提言を絵画の学校として可能かという実践の場として中村宏アトリエ・油彩画・絵画中西夏之アトリエ・素描今泉省彦講義講師にて出版社現代思潮社により創立した学校です。）<br />
<br />
60年といえば、ベトナム戦争や国内で言えば安保闘争・全学連などのキーワードが代表的かと思います。<br />
ギグメンタの案内のトップにも「60年代は反逆の時代だ」と書きましたが、『60年代』書くとだたの数字ではなくその時代の色を創造するのに、とても都合のよい書き方だと思いました。<br />
<br />
今では小さな工房ぐらいに認識されているかもしれない美学校も開校当時は「東京芸大か美学校か」と言われていたほど勢いがあったようです。<br />
（当時学生だった世代からそう聞きましたが、一方で「芸大と美学校以外は学生闘争で閉鎖してたから、他に選択肢が無かったねぇ」とも聞きました(笑)！）<br />
<br />
なので、『40周年』より『1969年の現在』と書いた方がより、見た人の直観力に訴えかけられるのではないかと思いました。<br />
その後でくる『しらけ世代』から見れば、「めんどくさい時代だ！」と、展覧会を見る気もなくなってしまうかもしれませんが、反発や見た感じで受ける毒の強さも含めて、「ギグメンタ2008-美学校1969年の現在-」展という名前に至りました。<br />
<br />
さて、次回は展覧会を作るのにかかる費用についてのお話をしたいと思います！]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：22.</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://somosomo.yumisong.net/log/eid67.html" />
		<id>http://somosomo.yumisong.net/log/eid67.html</id>
		<issued>2008-02-22T14:55:38+09:00</issued>
		<modified>2008-02-22T05:55:38Z</modified>
		<summary>こんにちは。ユミソンです。現代美術家です。今日は、2007年1月に雑誌、「論座」に掲載された記事を紹介しますね。タイトルは＜「丸山眞男」をひっぱたきたい　31歳フリーター。希望は、戦争。＞。筆者は赤木智弘さん...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは。ユミソンです。現代美術家です。<br />
今日は、2007年1月に雑誌、「論座」に掲載された記事を紹介しますね。タイトルは＜「丸山眞男」をひっぱたきたい　31歳フリーター。希望は、戦争。＞。<br />
<br />
筆者は赤木智弘さんという北関東に住む31歳のフリーター。赤木さんは現在の「平和な社会」を「戦争」によって変革し、「フリーター」である自分の「今の状況」を変えるチャンスを欲しています。突拍子も無いドンデモ話のようですが、この記事を読むと笑えない現状が浮き彫りにされていて、引き込まれてしまいます。<br />
<br />
そしてひっぱたきたい「丸山眞男」というのは、wikipediaによると以下のようです。<br />
<blockquote>丸山 眞男（まるやま まさお、Masao Maruyama 1914年3月22日 - 1996年8月15日）日本人の政治学者、思想史家。専攻は日本政治思想史。戦後まもなくの1946年に発表された『超国家主義の論理と心理』をはじめとする、戦前日本の軍国主義やファシズムに関する論考は、論壇のみならず広く敗戦後の日本人に衝撃を与えた。以後、戦後民主主義思想の展開において、指導的役割を果たす。戦前の天皇制を「無責任の体系」という言葉で表現したことは有名。また、サンフランシスコ平和条約をめぐる論争では「平和問題談話会」の中心人物として、1960年の安保闘争を支持する知識人として、アカデミズムの領域を越えて戦後民主主義のオピニオン・リーダーとして発言を行い、大きな影響を与えた。<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7</a></blockquote><br />
<br />
赤木さんは、≪結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱≫で、≪夜遅くにバイト先に行って、それから８時間ロクな休憩もとらずに働いて、明け方に家に帰ってきて、＜…＞夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト先に行く。この繰り返し。≫。<br />
<br />
それだけ働いても≪月給は10万円強。≫なので、十数年経っても実家を出る財力も結婚する財力もつけられません。この状況は、何度もユミソンの周りのお友だちたちから聞いたことがあります。赤木さんとユミソンの年齢が近いというものあるのかもしれません。就職時期がちょうどバブル崩壊時期と重なったこの世代は、就職できないままに現在まで来てしまって、年齢的にも「マトモな仕事」に就くチャンスが少ない世代です。<br />
<br />
≪ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。＜…＞しかも、この情けない状況すらいつまで続くか分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。≫<br />
<br />
そんなに嫌なら、もっとマトモな仕事をして生活を変えればいいじゃん！と言っても、新卒や今までどこかで「マトモな仕事」をしていた人ならともかく、バブル崩壊直後に就職期を迎えた私たちには、「マトモな仕事」に最初から就けるチャンスがなく、≪ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した職業とはほど遠いものばかり≫。そして、それが悪い歯車となって「マトモな仕事」の輪に入る入り口が見つからず、希望を持つことは現実離れした妄想となってしまいます。<br />
<br />
ユミソンが赤木さんの文章で興味深いと思ったのは、入り口のないこの歯車の名称を「平和」と名づけたことです。≪平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。≫<br />
<br />
「マトモな仕事」に就けない私たちはそのままに、「マトモな仕事」をしていたバブル世代の人たちはその現状維持に力を注いでいくのが今の社会のあり方のようです。私たちをフリーターのままにしながら≪「それは努力が足りないからだ」≫と批判する、「平和な社会」には希望はありません。そして≪このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。≫と続いています。<br />
<br />
ちょっと話が変わりますが、漫画「AKIRA」を描いた大友克洋の初期作品に「気分はもう戦争」（共作：矢作俊彦）というのがあります。昔に読んで、今手元にないのでうるおぼえで申し訳ないですが、中ソ国境間の戦争にデコボコ三人組が参戦しているというギャグ漫画でした。そしてさらにうるおぼえですが、主人公たちは戦争を欲しているような振る舞いをしています。誰かを殺したいとか、やっつけたいとかじゃなくて、戦争という絶えず変化のある状況に身をおきたいという感じです。<br />
<br />
内容はだいぶ違いますが、何かしらの「変革」というファンタジーが、大友克洋の「気分はもう戦争」にも赤木さんの「希望は、戦争。」にも漂っているような印象を受けます。国家への信頼が無いところも似ていると思います。しかし、決定的に違うのは赤木さんが欲している「戦争」は、気分でも漫画でもなく現在進行形で膨張していることです。<br />
<br />
現に「戦争」を欲する≪ネットウヨクの社会運動は、彼らのブログが人気を集めて検索サイトのトップに表示されたり、マスコミに「ネットにはこのような声がある」と紹介されたりすることによって、インクが混じるとほんのわずかだけ色が変わる水のように、それとなく社会に浸透している。それは彼らのやり方が有効な社会運動として機能しているということだろう。≫とつづり、≪「国民全員が苦しみつづける平等」を望≫まざるを得ないと言っています。<br />
<br />
ユミソンは赤木さんとは別の意味でも社会的弱者なので、戦争なんておこったら真っ先に虐げられてしまいそうで怖いです。そんな未来はまっぴらゴメンです。でも、赤木さんのこの文章に感慨を受けるのも事実です。そして面白いことにユミソンは赤木さんよりも少ない月収の時もあります。アーティストなので定職にも就いていません。貯金もなけりゃ、結婚も、子どももありませんし、「国民全員が苦しみつづける平等」の前に「日本国民」でもありません。<br />
<br />
こんな、何もないユミソンがなぜ赤木さんと同じように「戦争」に走らないのかと言うとと、たぶん社会に参加しているという自負があるからだと思います。フリーターは社会に参加していないという疎外感や屈辱感もあるのかと思います。アーティストとして社会に参加している、関わり合いを持っているという自信が、「変革」を望みはするものの「戦争」を望むには至らない理由なのかなと思います。<br />
<br />
キルケゴールが「死に至る病」でも書いている通り、人間には「希望」が必要です。それはもう本能が求めるのと同じレベルの欲求だと思います。赤木さんが求めた「戦争」という「希望」は、今の経済至上主義の社会が生み出した副産物としての「希望」でもあるのかなと思いました。<br />
<br />
＜「丸山眞男」をひっぱたきたい　31歳フリーター。希望は、戦争。＞<br />
<a href="http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html" target="_blank">http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html</a><br />
<br />
ではまた次回！]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：21.</title>
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		<issued>2008-02-01T13:05:16+09:00</issued>
		<modified>2008-02-01T04:05:16Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。先日、印象派の展覧会に行きました。平日にもかかわらず会場内は人であふれかえっていました。去年に行った日本画の展覧会も同じように賑わっていました。現代美術家のユ...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。<br />
<br />
先日、印象派の展覧会に行きました。平日にもかかわらず会場内は人であふれかえっていました。去年に行った日本画の展覧会も同じように賑わっていました。現代美術家のユミソンは、「現代美術の展覧会も、これくらい人が観にきてくれればいいのに…！」とポツリともらし、一緒にいたお友達は「現代美術はわかりにくいからね。」と返しました。現代美術ってそんなにわかりにくいかなぁ。今生きている私たちが作っている作品だから、より思想も共有しやすくて、わかりやすいと思うのに…と思いながらも、じゃあなんで観客が多くないのかは、わかりませんでした。<br />
<br />
<h2>中国人全員が海外旅行？</h2><br />
<br />
ところで世界観光機構（WTO：http://www.wto-osaka.org/）は、世界中の海外旅行客を、2005年は8億人、そして2010年は10億人、2030年は15億人と予測しています。2033年には中国の人口が15億人と言いますから、中国の人たち全員が、海外へ出かけていくのと同じです！なんだか凄い数ですね。話を戻しますが、私たちは海外旅行をするときに行く場所の一つとして、美術館があげられます。普段は美術館に行くことのない人でもニューヨークに行けばMOMA、台湾に行けば故宮博物館 、フランスに行けばルーブル美術館に行ったなと思い出します。<br />
<br />
<h2>観光客を増やそう</h2><br />
<br />
そしてルーブル美術館の年間訪問者数は850万人だそうです。それを1000万人にしようという動きがあります。観客を増やすというのは、より美術に造詣を深めてもらうという意味もありますが、美術館がそれ自体で経営を行えるように（お金儲けができるように）なるという目的もあります。美術の造詣を深めるには、急激な変化は期待できません。それは教育・文化が深く関わってくるからです。大きなカーブで観客を増やすのは、後者の理由が大きいと推測できます。<br />
<br />
<h2>何が受け入れられるのか</h2><br />
<br />
ルーブル美術館だけでなく、世界中の美術館は観光客の増加に伴って来場者数を増やそうという考えがあるようです。そうすると、何を見せたいかではなくて、何が受け入れられるかというような思考になってしまうのではないかな、受け入れられる作品を展示しよう、受け入れずらいものは後回しにしようという情勢になってしまわないかと、少し不安になります。<br />
<br />
<h2>表層的な楽しみ</h2><br />
<br />
エンターテイメント性の高いもの、知識が無くても観れるもの、みんなが知っている有名なもの、そういうものが多くの人を呼ぶためには必要になるからです。それ以外の大切なものを含んでいる「なんだかよくわからないもの。見たこの無いもの。」は後回しにされてしまうのではないかと不安になります。昔の絵画なども、その深みより表層的な技法を楽しむだけに皆の目の前にさらされるのではないかと不安になります。<br />
<br />
<h2>重要な役割の削除</h2><br />
<br />
しかし美術館は、エンターテイメント性が高いものだけを扱っているわけではありません。美術館は展示もしていますが、作品の保存・研究もしています。収蔵しているけれど、展示をすることのない作品もあります。研究や保存はすぐにお金になりませんし、いつかお金になるのかといえば、それもわかりません。文化にとって、とても重要な役割の研究などが、「観光客に結びつかない=お金にならない」という理由で、継続が困難になってしまうのではないかなと感じます。知識が無くては理解できないようなものは、客を呼びません。<br />
<br />
<h2>現代美術も</h2><br />
<br />
そして、それは現代美術でも言える問題です。マーケットの動向が美術の傾向を作っているからです。それは今までもあったのかもしれませんが、速度が早くなっています。それは、経済が急速に世界中で同時的に進んでいるのが理由かもしれません。世界的が抱える問題も文化も急速に均一化しているようです。芸術を巡る環境はこのまま経済の流れに沿い続けなければいけないのでしょうか？対等に向かいあえる力はこのまま衰えてしまうのでしょうか？<br />
<br />
<br />
このままでは、私たちの知っている芸術は言葉はそのままに、内容は異質なものへと変容してしまいそうです。<br />
<br />
では、また次回！]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：20．</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://somosomo.yumisong.net/log/eid65.html" />
		<id>http://somosomo.yumisong.net/log/eid65.html</id>
		<issued>2008-01-18T04:05:12+09:00</issued>
		<modified>2008-01-17T19:05:12Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。前回で、世界展の話はひとまず終了。今回からはこのブログも一新してお送りいたします！★ 「経済」の文化僕たちの時代は文化の時代じゃない。僕たちが文化だと思っている...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。<br />
前回で、世界展の話はひとまず終了。今回からはこのブログも一新してお送りいたします！<br />
<br />
<h2>★ 「経済」の文化</h2><br />
<blockquote>僕たちの時代は文化の時代じゃない。僕たちが文化だと思っているのは、文化なんかじゃなくて、経済の文化なんだ。つまり今日では、人びとの暮らしは「経済」で起こっていることに左右されているんだ。<br />
「経済」で起きているのは、お金のプロセスと生産という事件だ。だから、お金の観念をまちがって考えてしまうと、破局を迎えざるを得ない。この出来そこないのひどい彫刻（=社会）に介入するときには、適切なアクセスがポイントになる。それを美しい彫刻にするような介入が必要なんだ。<br />
この造形のモーメントを人びとが自分で体験できることが必要なんだ。<br />
個人でやっちゃいけない。<br />
未来ではすべてのことを人類は共同でやるべきだからね。<br />
(Joseph Beuys)</blockquote><br />
<br />
上の文章は現代美術家、ヨゼフ・ボイスが言った言葉です。でも「経済」の文化って言われても、私たちは生まれたときから購買に育てられてきたのだから、それ以外の文化って具体的にどんなことなの？私たちは「経済」以外の「文化」を体験できるのかな？そのキーワードは、アートにありそうです。<br />
<br />
<h2>★ 「作品」の「商品」化</h2><br />
最近は「（芸術）作品が商品化されている」という話を聞きました。「ピカソクッキーとかゴッホＴシャツとか？」…ではなく、作品そのものを商品として扱うような傾向のことです。今や芸術作品の急速な「商品化」は世界に蔓延しているようです。「作品」て言ったって、そもそも売買の対象なのだから商品化されるじゃなくて、「商品」じゃん！何が違うのでしょう…ね。<br />
<br />
売買すると言えば、美術館にある作品は売買だけでなく、貸し借りもしているって知っていましたか？新しい美術館ができたり展覧会をする時、全部の作品を買ってくるのではなく、他の美術館やコレクターから借りて展示をする場合もあります。そして、借りるときにはレンタル料金というものが発生します。そのレンタル料金の収入は美術館経営に使われているようです。<br />
<br />
ちょっと余談ですが、芸術作品には盗難や損傷などの保険がかけられます。保険代は作品価格に比例しますので、もし作品を無料で借りれても、保険代は経費としてかかります。有名作品を沢山借りてしまうと、それだけで保険代が何億円にもなってしまいます！ということは、無料で作品を集められたとしても保険料以上の集客がないと展覧会としては赤字です。集客が望めるからと、有名作家の展覧会は賑わっているように見えても、必ずしも成功している訳ではないようです。<br />
<br />
日本は芸術作品を外国から借りていますが、同時に外国の美術館などに貸しています。その利益や損失はどれくらいか知りませんが、作品を海外へ貸すのは不安だという声を聞いたことがあります。ある美術館が海外へ大量に作品を貸し出すことに反対署名を行った国もあると聞きます。なぜ国外へ美術品を持ち出しすぎることが不安なのでしょう？<br />
<br />
<h2>★ 国の価値</h2><br />
台湾にある國立故宮博物院の作品の保管庫は山の中にあるそうです。山を切り崩して、まわりから攻められないような形になっています。なぜそんな不便なことをしているのかというと、美術品が国を守ってくれるからです。國立故宮博物院には中国の歴代の皇帝が集めていた美術品が山のようにあります。それは蒋介石が中国を離れるときに持ち出したものがほとんどです。<br />
<br />
中国と台湾は緊張関係にありますが、中国が台湾を武力で攻め落としたなら、自分の国の歴史的価値も一緒に破壊してしまうことになります。なので、國立故宮博物院の作品が台湾にある内は、中国は台湾に強い武力行使が出来ないかもしれません（なんて言っても政治のことはわかりまんが…！）。この例だけではなく、第二次世界大戦中の欧州では…旧ソビエトが解体する時は…などという話を聞きます。美術品は昔からこのように、世界中で政治の道具としても使われてきた歴史があります。<br />
<br />
それは、芸術作品が「商品」ではなく、文化が生み出した「作品」だから起こりえる事件（歴史）なのかもしれません。芸術作品というのは、高みから見下ろした高貴なモノではなく、泥臭くて濃厚で正体不明なシロモノかもしれません（見た目にはクリーンに見えても）。どんなに個人的な作品に見えても、その国のその時代を探る手がかりです。そういう意味で価値が生まれるのは当然かもしれません。<br />
<br />
<h2>★ 作品が商品になると</h2><br />
価値があるとは言え、先に書いたように「作品」を「商品」として利益還元している現状があります。芸術作品で利益追求する動きが強くなっているのは、ナゼでしょうか。独立行政法人化やそれに似た制度が進み、美術館自体で経営をまかなっていこうという動きが急速に進んでいるからか、目に見える数字の結果を出さなくてはいけない時代になっているからか、どんな背景があるのでしょう。<br />
<br />
これは日本に限った話ではありません。世界中でそのような現象があると言われています。グローバル化の影響が世界中を同じ動きにさせています。これは良いことか悪いことか、わかりません。しかし美術館の経営が成り立つことと、文化的強度が増すことは必ず一致するわけではない。それは、読み取れます。<br />
<br />
最初の引用にあった「経済」の文化というのは、今の現状を言っています。芸術がそれに飲み込まれては、美しい社会彫刻なんてできませんよね。だからと言って芸術がそのまま、すごすご「経済」に飲み込まれてしまうとも思えません。そんな弱いものなら、とっくに飲み込まれています。きっと芸術が大きな力を発揮するのは、できそこないのヒドイ彫刻（=社会）が芸術を飲み込もうとしている、まさに今この時なのかもしれません。<br />
<br />
ではまた！]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：19．ドクメンタ</title>
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		<issued>2008-01-12T00:11:57+09:00</issued>
		<modified>2008-01-11T15:11:57Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。今回はドイツのカッセルという地域で4?5年毎に開催されているドクメンタという展覧会についてです。 ★ 「マーケットにのっていない作家」を中心に 今回、ドクメンタに出...</summary>
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			<name>ユミソン</name>
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		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。今回はドイツのカッセルという地域で4?5年毎に開催されているドクメンタという展覧会についてです。 <br />
<h3>★ 「マーケットにのっていない作家」を中心に </h3><br />
今回、ドクメンタに出品している作家は「マーケットにのっていない作家」が中心だという話を、日本を発つ前にユミソンは色々な人から聞きました。アンチ・マーケットだという話も聞きました。知らない作家が多いからつまらないとも聞いていました。よい評判より、悪い評判の方を多く耳にしながら、ユミソンはドクメンタの観覧に挑みました。 <br />
<br />
どんな産業にもマーケット(市場)があるように、アート産業にもマーケットがあります。マーケットにのっていない作家って、市場に出てない商品みたいなことだから、そもそもプロのアーティストじゃないんじゃない？と言われたら…うむむ。ですが、マーケットにのっていない作家（市場に出てない商品）の方が、マーケットにのっている作家(市場に出ている商品)より断然に多いのがアートシーンの特徴でもあります。（特に日本は！） <br />
<br />
なんじゃそりゃ。じゃあアートってどうやって流通するの？どーやってお金が動いているのぉ！？というのが普通の疑問ですが、ピラミッド構造がとっても鋭角で、すごーく高層なのがアートシーンの特徴でもあります。少数の人たちが、アート市場で流通していて、その人たちの作品で巨額のお金が動いているのが、アート市場です。 <br />
<br />
その下層部でモゾモゾしているのがユミソンのような作家で、マーケットどころかギャラリー契約さえもしていません。それでも「私はアーティストです。」と、ウソとか虚栄のためではなく本心から言うような、そんな人たちが有象無象に居るのが現状です。もともと流通というカテゴリーにはなかった「芸術」は（流通してたにしろ、経済流通の一部だとみんなに認識されていなかったという意味です）、カタチを変えて流通のカテゴリーに入ってはいますが、普通の産業と同じような流通ではないようです。 <br />
<br />
釣りやゴルフ好きの人が趣味の限度を超えて入れ込んでも、「プロ」ではなくて「アマチュア」だと自覚して、趣味を楽しみ、周りの人もハラハラしたりすることもありながらも「あの人は仕事もそこそこに、趣味に打ち込んでいる」と認識し、美術の仕事では生活できなくて美術の予備校や大学の先生・アルバイトなどをしながらも、自分では「プロ」のアーティストだという自覚を持って、周りの人も「あの人はアーティストだ。」と認識しているのは、面白い違いですよね。いつか機会があればそんな話もしたいと思います。 <br />
<h3>★ 出せ、払え、さらに使え！ </h3><br />
話を戻しますと、なぜ世界的に有名な展覧会にわざわざ「マーケットにのっていない作家」を中心に集めたりしたのでしょう。昔から、マーケットにのらない人の方が多いなら、別に今更「マーケット」を意識して、のってるかのってないかを判断基準の一つとして考える必要もないんじゃないの？と思います。世界展なら、そんな経済の流通を意識するより、もっと意識することが沢山あるんじゃないの？なんて思ってしまいます。 <br />
<br />
だけど、世界経済の流通を強く意識することが世界展の仮題の一つなっても良いほど、世界は経済の流通に振り回されているようです。とうの昔から世界には経済が存在していて、それが強い影響力を持っていましたが、その力がそれらを作っている私たちでさえ手に負えない状況になっているからでしょうか？スチャダラパーがラップしているように、世界はもっていない人にも「出せ・払え・さらに使え！」とまくし立てているからでしょうか？ <br />
<br />
デパートのマルイの広告でうたっているように「You Are What You Buy.(何を買うかで、あなたが決まる。)」と経済流通に積極的に参加しないと人間性さえ作れないような世の中だからでしょうか？パスカルが「人間は考える葦である。」といったのは昔話のようです。考えることにより宇宙を越えられる人間から、流通に参加することで人間性が与えられるなんて、なんて人間てちっちゃくなってしまったんでしょうね。ははは。笑えないですよね。 <br />
<h3>★ エゴが奏でる不協和音 </h3><br />
展覧会の内容のお話をしますと、テロや世界情勢を扱った作品が多かったです。そして直接的な表現のものが多かったです。中には、ただのスタイル・ただのポーズにしか見えない作品もあって、少し食傷してしまいましたが、強く訴えないといけない世界情勢があふれ出ていました。もっと多様な作品があふれる世界展が開かれる世界になって欲しいと思いました。 <br />
<br />
ユミソンがショックを受けた作品は、映像作品です。ドイツ人のグループとポーランド人のグループがそれぞれを愛国心を大きなキャンパスに描くというワークショップを何日間か続けて行っているのですが、自分の国を愛するあまり隣の国のキャンパスの内容に、お互いケチを付け出し、それがエスカレートしていくという作品です。ドキュメンタリーです。 <br />
<br />
特に極右の人々を選んでいるわけではないようです。ワークショップが進むにつれ、エスカレートしていくさまがとてもリアルでユミソンはとても衝撃を受けてしまいました。自分のキャンパスに隣の国には負けないぞ！というようなスローガン（ポーランドなら、ナチには屈しないぞ！などドイツの人がみたら心を乱すようなこと）を書き、中盤からは隣のキャンバスに絵具をなげつけ、壊し、お互いの服をはさみで切り刻み、キャンバスに火をつけ…途中で、火が止まらなくなり中断せざるを得ない状況になったりしました。 <br />
<br />
それらを、参加者は自分は平静を保っているよという風で、冷静だよという風を装って、にこやかな表情で、口では平和なことを言っていました。その所作にユミソンは心が痛くなって少し泣いてしまいました。これは、まるで…世界です。私たち自身です。私たちは自分たちを愛することさえも、うまくできないのです。 <br />
<br />
マーケットにのっていない人・のりずらい人は、こんな作品を作る人たちが多かったです。 <br />
<br />
では、また次回！ ]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：18．ミュンスター</title>
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		<issued>2008-01-12T00:11:43+09:00</issued>
		<modified>2008-01-11T15:11:43Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。すっかり時間がたってしまいましたが、前回お話をしたベネチアから飛行機でドイツのベルリンに渡ったユミソンですが、ベルリンはまたいつかお話できればいいなと…すっと...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
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		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。すっかり時間がたってしまいましたが、前回お話をしたベネチアから飛行機でドイツのベルリンに渡ったユミソンですが、ベルリンはまたいつかお話できればいいなと…すっとばしつつ、今回はドイツのミュンスターで10年に一度行われているミュンスター彫刻プロジェクトの報告をしたいと思います。 <br />
<h3>★ 10年ぶりの街はすっかり変わり…？ </h3><br />
ミュンスター彫刻プロジェクトについては、以前にもこのコラムで紹介させていただきましたのでよかったら読んでみてくださいね。「空間をめぐる芸術:03. 芸術のある場所」<br />
<br />
10年ぶりにミュンスターの駅に降り立ったユミソン。なつかしぃわぁ。そうそうこんな田舎町だったのよねぇ…人っ子ひとり居ない街…ん？あれれ？こんな風景だったっけ？？？おかしい…変わったとはいえ、寂れすぎてます。何か決定的に違います。いくらなんでも変わりすぎです。無人駅に併設する食堂らしき建物のマスターに「ここって、ミュンスターですか？」と聞くと、「ははは。ミュンスターは遠すぎるよ。ここはムンスターだよ。」と笑い飛ばされました。ぎゃん！よく見たら【munster】の【u】の字が違うぅぅ。こんな間違い探しみたいな文字、極東アジアからうんとこどっこいやって来たユミソンにはわからんぜよ。 <br />
<br />
よく見ると絵文字のような駅名にからかわれているような気がしてきたアホなユミソンですが、なんとか4?5時間電車を乗り継いでミュンスターにたどり着きました。すっかり夕方です。今度こそ見覚えのある駅前です。人も沢山います。10年経って少し都会になっていますが、記憶にございます！ただし野良ウサギは居なくなって、以前は見かけなかったファーストフード店が増えています。これがグローバリゼーションの影響ってやつなのでしょうか。 <br />
<br />
そんなこんなでアーシー(アー湖)のほとりのユースホステルに荷物を預け、フロントでマップを貰って、夕方の街を散策です！早速10年前に見た作品を発見しました。10年間そのままです。全部の作品が保存されるという訳ではありませんが、そのまま保存してある作品もあります。20年前の作品も、30年前の作品も街のあちらこちらにあります。10年ぶりにご対面する作品は昔の友人と会ったような、少し気分を和らげてくれました。 <br />
<h3>★ 自転車はメルセデスベンツ </h3><br />
次の日は、朝からマップを片手に街を散策！なんだかスタンプラリーをしている気分です。自転車を借りて街を巡ることもできますが、雨が降ったり止んだりを繰り返しているので、自転車は借りずに徒歩で散策しました。中心街は徒歩で巡れるほど小さな町です。同じように世界各地からやってきた評論家や学生、アーティスト・キュレーターなどと作品の前で少しお話をしては、また次の作品へと移動するのはとても楽しい行為です。 <br />
<br />
彫刻プロジェクトと、「彫刻」と名前がついていますが、インスタレーション的な作品が今回は多かったです。インスタレーションとは設置美術のことです。インスタレーションについてはこのコラムの一番最初に書いたものがありますので良かったら読んで見てください。「空間をめぐる芸術：イントロダクション」 <br />
<br />
ガード下やホテルで映画を観るような映像作品、橋の下で音楽を聴く、時間になるとどこからか音楽が流れる、というような音も彫刻として扱っている作品、毎日どこかしら石を置き続ける作家や、作家自体を探し当ててお話をするというのが作品というものなど、「彫刻」という観念では捉えきれないような作品が数多く存在します。 <br />
<br />
午後からは自転車を借りて（中心街で貸し出している自転車は全てメルセデス製で、とっても頑丈です。さすがドイツ。）中心地から離れた作品を観て周りました。信号待ちをしていると、同じように自転車に乗っている地元のおじいさんが話しかけてきました。「ブルースナウマンの作品を観たか？」「これから行くの」と答えると、付いて来いと言います。「地図はここにあるから。」と頭を指差して笑っています。地元のガイドを味方につけたユミソンは迷うことなく、次々と作品を巡ってゆきます。一人だったら絶対に見つけられないような作品もあります。ありがとう、おじいさん！ <br />
<h3>★ 地元のガイドのおじいさん </h3><br />
しかし、地元のおじいさんがブルースナウマンだのイリヤカバコフだのといった現代美術の作家名を普通に話すのは不思議です。名前だけでなく、作品についても語り合います。この彫刻プロジェクトが地元に根付いている証拠なのでしょうか。おじいさんは美術の教育は受けては居ませんが、外国人の旅行者に地元を紹介することに喜びを感じていて、何人ものユミソンのような旅行者を案内しているうちに作家や作品の内容を覚えたそうです。 <br />
<br />
そして野原を自転車で巡っていると、野良ウサギが横切りました。わー！10年ぶりの再会っ☆と感動していると、その向こうにも、もっと向こうにも、10匹以上居ます。野良ウサギだらけです。ピーターラビットの世界です。よかった。よかった。ファーストフード店も増えてたけど、野良ウサギも健在していました。 <br />
<br />
民家の横を通り過ぎながら、「あそこが初恋の子の家なんだ。玄関でキスをしたよ。それ以来、まだ一度も会ってないけどね。へへ。」と淡い恋バナも聞きながら、自転車散策をして、映像作品の前で「じゃあ、この映像作品は20分あるから、僕は帰るよ。後は一人でがんばってね！」とおじいさんとさよならをして、一人で中心街に戻ってきました。 <br />
<br />
10年に一度しか開かれない彫刻展ですが、しっかりと地元の人たちに浸透しているようです。（ただし保守的な教会に属している人たちは、彫刻展に反対していますが。） <br />
<br />
<br />
次はカッセルのドクメンタについて書きます。ではまた！]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：17．VB.アルセナーレ</title>
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		<issued>2008-01-12T00:11:30+09:00</issued>
		<modified>2008-01-11T15:11:30Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。ベネチア・ビエンナーレのアルセナーレ編をお送りいたします！ ★ A VERY BEAUTIFUL DAY AFTER TOMORROW ベネチア・ビエンナーレの二大会場のもう一つは、アルセナーレ。...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。ベネチア・ビエンナーレのアルセナーレ編をお送りいたします！ <br />
<h3>★ A VERY BEAUTIFUL DAY AFTER TOMORROW </h3><br />
ベネチア・ビエンナーレの二大会場のもう一つは、アルセナーレ。造船所での展示です。これは一人のキュレーター（展覧会を企画する人）が世界中の様々な作家を集めての展示になります。毎年、キュレーターの趣向によって集められる作家は様々。様相も様々。今年は政治色の強い展示になっていました。キュレーターの名前はロバート・ストー。<br />
<br />
会場までを抜ける壁面や天上に落書きのように描かれているドローイングには、虐げられている人々やグローバリズムや経済至上主義に対する皮肉が散りばめられています。そして会場を入るとすぐに目に入る文字【A VERY BEAUTIFUL DAY AFTER TOMORROW　明日には良くなってるよ】を抜け、911テロの模型、飛行機に貼り付けられたキリスト、町中に置かれた監視塔、破壊された街、戦争で疲れ果てた医療用マネキン、銃の数々、公共の場の剥奪、戦死した軍人の似顔絵で作られたアメリカの地図、常に殴られ続けているような立場の女性、悲しい顔のイスラムの女性…などなど、「明日にはよくなっている」なんて言えない世界を浮き彫りにしています。 <br />
<br />
そんなパッと見でも耐えられない作品が怒涛のように並ぶ中、コスプレマニアによるホンモノみたいな兵隊の写真など、ちょっと面白いものもあります。そして会場と会場をつなぐ入り口には全て「EXIT」の代わりに「Exil」の文字が光っています。あ！スペル間違いしてる。うふふオモシローイ。と思いきや「EXIT:出口」ではなく「EXIL:追放・亡命・流刑」なのね…あんまり笑えないのね。これはAdel Abdessemedの作品です。また、子供が広場でサッカー遊びをしているホンワカ映像と思ってみていると…ん？何かがおかしい…あれれ？ボールじゃなくて頭蓋骨だ。Paolo Canevariによる空爆の跡地でボールもなく人骨でサッカーをする少年の映像でした。どれもこれもずっしりと訴えかけます。 <br />
<br />
ユミソンが面白い！と思った作品はDmitry Gutov と評論家の David Riffの作品です。2人はモスクワで英語学校を2006年に開きました。最近日本でもニュース番組で、某英語学校が話題になっていますが（笑）、電車に乗っても雑誌を広げても「英語をモノにしろ」と私たちに訴えかけてきます。英語の一つも喋れないと一人前の人間になれていないような、まともなビジネスマンじゃないような、セレブの仲間入りができないような、そんな刷り込みが世界中の人々の頭の中にもあるようです。 <br />
<br />
そんな2人がテキストに選んだのはカール・マルクスです。マルクスといえば、「資本論」や「共産主義宣言」が有名ですよね。そんなマルクスをロシア語とドイツ語にトランスレート。英語の勉強。皮肉が利いています。こんな英語の勉強ならゼヒやってみたーい！と、うなりました。「こんにちは、ボブ。来週の日曜日は雨が降ります。」なんて感じのつまんない英語テキストばっかりなんだもん。だからユミソン、勉強って続かないのよね…と言い訳してみたりして(笑)。 <br />
<br />
こんな風にして、ユミソンは「果たしてこれは美術展なのか、こんなことをしたところで芸術は経済や政治から独立できるのか。世界は変われるのか。」という根源的な疑問をうっすら持ちつつ、刺すような日差しの明るいベネチアに黒い影を落とす展覧会が世界中に対して発言しているのを見ました。 <br />
<h3>★ 情報に殺され続ける私たち </h3><br />
話はガラッと変わりますが、最近読んだ本「VOL 02」にこんな文章がありました。 <br />
<br />
<blockquote>個人消費への融資というのは、銀行ではリスクがあるからやりたがらないわけですが、それをサラ金が担当する。そしてそのサラ金に銀行が出資する。カネのない人間には借金をさせて消費をさせ、カネを返済できなくなった人間には生命保険でもかけて自殺してもらう、と。 ≪中略≫ 実際にいま日本では年間３万人もの自殺者がいるわけですが、いじめによる子供の自殺が問題とされる一方で、経済破綻による大人の自殺者は「すでに織り込み済み」のものとされ、それによって経済がまわるような構造ができてしまっている。</blockquote> 日本には死ななくちゃいけないほどの身体（餓死をするほど食べ物に困っている人など）の人は少ないと思います。食べ物に困っているわけでも、雨風をしのぐのに困っているわけでもなくて、お金に困って死んでゆくのです。追い込まれて、殺されてゆくのです。こんな事は、みんな知っている事実ですが、なんだか奇妙な気持ちになります。借りたものが返せないから死ぬ・殺されるという事実は、シュールすぎて、コミカルにさえ思えます。ユミソンは借りたものが返せなくても、生きていて良いと思います。返せなくても、生きていることは恥ずかしくもないし、生きていても家族に申し訳ないと苦しまなくてもいいと思います。 <br />
<br />
今回の展示では戦争やテロを題材にしているものが多かったですが、何が戦争を引き起こさせるのか。原因は一つではないと思います。しかし、圧倒的に経済に関係しているものが多く目に付きます。人種問題や宗教問題にすり替えた石油の利権などはみんなが知っていることです。いつの時代も人を殺してだって、世界は、金や宝石や石油が欲しいのです。それがお金になるからです。お金は流通の道具ではなく、経済はサービスの流れではなく、強さの象徴、（暴）力の象徴のようです。 <br />
<br />
そこにはすでに紙幣は存在していません。紙幣の取引は存在していません。「これだけのお金が、ここに動いてることとすると。」という共通の情報が動いているだけです。実際に手に出来るものではなく、頭やマシンの中に収められる情報です。お金はもう、紙幣でもコインでもなくて、ましては労働の対価でもなくなって、ただの情報です。携帯電話の中にだって、薄いカードの中にだって入っている情報です。それを動かした気分になるために、世界は、自壊し続けているようです。 <br />
<br />
アートは自壊する私たちを描くことで、頭の中の私と私を戦わせているのかもしれません。 <br />
<br />
ではまた来週！ ]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：16．VB.ジャルディーニ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://somosomo.yumisong.net/log/eid61.html" />
		<id>http://somosomo.yumisong.net/log/eid61.html</id>
		<issued>2008-01-12T00:11:18+09:00</issued>
		<modified>2008-01-11T15:11:18Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。ベネチア・ビエンナーレのジャルディーニ＆国別パビリオン編をお送りいたします！ ★ think with the senses feel with the mind そうそう。今回のビエンナーレのタイトル...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。ベネチア・ビエンナーレのジャルディーニ＆国別パビリオン編をお送りいたします！ <br />
<h3>★ think with the senses feel with the mind </h3><br />
そうそう。今回のビエンナーレのタイトルを言い忘れていましたね。【think with the senses feel with the mind】です。下手な直訳をすると、【感覚で考え、意思で感じよう】になりますよね（たぶん…）。なんだか右脳と左脳の交換みたいなこと（認識の変換）なのかな。モノの見方を改めようというメッセージなのかな。いろいろと考えられますね。 <br />
<br />
ユミソンなりには、【様々な事象はニュースの中の「当たり前のこと・仕方のないこと・昔から続いてきたこと」として受け流すのではなく、それは「感覚的に（良心や直感としては）」受け入れられることなのか、受け入れていいことなのかを、認識しなおそう。私たちのアイデンティティや私たちを構成する世界や環境を直視してみよう。　“考えてみよう！”　そして、それが私たちを満たしているんだよ。私たちはそれらの影響を受けているんだよ。私たちが考えてることが私たちを満たし、私たち世界を作っているんだよ。　“感じてみよう！”　】という意訳をしてみましたが、みなさんはどんな風に考えますか？ <br />
<br />
余談ですが「私」ではなく「私たち」と考えてしまうところが、我ながらアジア人ぽいなと思いました(笑)。 <br />
<h3>★ さようなら、福祉。もう一度、現実を。 </h3><br />
いざ！本題のパビリオンです。ジャルディーニ公園には29カ国のパビリオンが建設されています。メイン会場（元イタリア館）を入れると30パビリオンです。参加国は57カ国なので、半分近くの28カ国はジャルディーニ公園の外に建設されているという計算になります。それだけベネチア・ビエンナーレの歴史の中で、現代美術の祭典に参加する国が増えたという計算になります。 <br />
<br />
全部は紹介しきれないので、残念ですが気になったパビリオンの紹介をほんの少し。まずは、フランス館。作家はソフィ・カル。ディレクションはアーティストでもあるダニエル・ビュレンヌです。タイトルは【Prenez soin de vous（Take care of yourself）】彼女は超個人的なことを作品にしています。いつもそうですが、その超個人的な作品によって、周りの人（特に恋人）にとってはプライバシーも何もなくて、衝撃的です。今回も別れのメールがモチーフです。 <br />
<br />
別れのメールを、でーんと大きくプリントアウトして展示しています。その周りに107人の女性によるメールの解析文や映像などがあります。役者が大声で読み上げたり、歌ったり、点字にしてみたり、ソフィ・カルの母親がコメントしていたり、セックスセラピストや文法的な指摘…などなど、さまざまです。メールを送った本人が見たら「メールなんて送らなきゃ良かった…。」と言うこと間違いなしの楽しい（？）展示です。小さくて強い感情の粒を拡大しつづけて、その曲線が大きすぎて平坦に感じさせたり、時にはコミカルにも見せてしまうソフィ・カルらしい展示だと思いました。 <br />
<br />
一方で他のパビリオンでグループ展もしているソフィ・カルは、「ベネチア・ビエンナーレで展示しないか？」と、母親から「私の命はあと少しなの」という電話を同時にもらったことをモチーフにもしています。パリ館では元気そうに娘にコメントしている映像も流されていたのに！とビックリしました。母親の最期の顔をビデオで淡々と映し出す作品と元気だった時の映像作品も同時に出品することは、アーティストとして尊敬も共感もしたましたが、自分にはできないと感じました。ここがユミソンのアーティストとしてダメなところだとちょっと悲しくなりましたが、作品から受ける悲しさの方が、とっても大きかったです。 <br />
<br />
アメリ缶…じゃなくて、アメリカ館のフェリックス・ゴンザレス＝トレスは故人ですが、2001年の横浜トリエンナーレでも飴を拾う作品を出品していたので、知っている人は多いかと思います。彼は、飴や印刷物などを持って帰れる作品などを発表しています。今回もみんな、我先に作品を奪い合い…なんてせずに譲り合いながらも、しっかりもって帰ろうという気迫だけは出していました。そして会場を出るときは「わー！もって帰れるんだ。」と嬉しそうにポスター形式の印刷物と飴を抱えています。ポスターはもって帰れるのは良いのですが、いかんせんサイズが大きいし、厚紙なのでクルクルと巻いても結構な大きさです。飛行機に乗せられません…ユミソンは仕方なく泣く泣く折って帰りました。 <br />
<br />
写真は、北欧館の前にあったトイレです。一緒に観ていたフランス人のフランクが「あ！アレ、フランスの公衆トイレだよ。今でも街で見かけるよ。」と教えてくれました。トイレは3種類あって、トリコロールカラーです。屋根には「男・女」ではなく、フランスの国旗の象徴「自由・平等・博愛」と掲げられています。自由・平等・博愛なんてクソと一緒に流しちまえ！と皮肉っているのか、公共＝国が流してしまっているのか、全く別の意味なのかわかりませんが、展示の総合タイトルが【Welfare -Fare Well（「福祉-さようなら」）】なので、たぶんそんな感じなんだろうなと思いました。学校で習った記憶では北欧は福祉の国のハズなのに。福祉の国が「さようなら」なんて。世界はどうなっているのでしょう…ビエンナーレのタイトルに習ってもう一度イメージではなく、現実を見てみたほうが良いのかもしれません。 <br />
<br />
その横では、アデル・アビディンが架空の旅行代理店を開いています。行き先は「バグダッド」。子供・ペット・老人などお断りの旅行ツアーです。テロで爆破されて飛んだ足がピクピク痙攣している映像に、エキサイティング！みたいなロゴを載せたり、アメリカ兵が強引な方法で余暇を楽しんでいる様子を流したりしています。気が狂いそうです。こんな世界は嫌です。でも現実です。 <br />
<br />
ドイツでは公共性をモチーフにした作品を発表しているイザ・ゲンツケンが石油をタイトルにを発表しています。スーツケースや旅行グッズ、チープなマネキン…石油製品？グローバリゼーションへの反抗？ぱっと見ではよくわかりませんが、よく考えろと言われているような気分になります。 <br />
<br />
日本館では岡部昌生が、原爆をモチーフに作品を発表しています。長年つづけている床面をこすり出しして描く手法（フロッタージュ）です。広島の旧国鉄宇品駅のプラットホームをフロッタージュしています。 <br />
<br />
などなど、もっと紹介したのは沢山、沢山ありますが、また来週。 ]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>経済について私が知っている二、三の事柄：15．VB</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://somosomo.yumisong.net/log/eid60.html" />
		<id>http://somosomo.yumisong.net/log/eid60.html</id>
		<issued>2008-01-12T00:11:04+09:00</issued>
		<modified>2008-01-11T15:11:04Z</modified>
		<summary>こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。 ★ビエンナーレとは みなさんは、ビエンナーレという言葉をご存知ですか？ビエンナーレとはもともと「二年に一度」という意味のイタリア語で、隔年で催される美術展のこ...</summary>
		<author>
			<name>ユミソン</name>
		</author>
		<dc:subject>経済について私が知っている二、三の事柄</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[こんにちは、ユミソンです。現代美術家です。 <br />
<h3>★ビエンナーレとは </h3><br />
みなさんは、ビエンナーレという言葉をご存知ですか？ビエンナーレとはもともと「二年に一度」という意味のイタリア語で、隔年で催される美術展のことを指します。なので、神戸ビエンナーレ、ベネチア・ビエンナーレ、リヨン・ビエンナーレ…など様々な名称のビエンナーレがありますが、それぞれ企画者や内容は別です。ちなみに、三年に一度の展覧会のことはトリエンナーレと言います。 <br />
<br />
そして、今回ユミソンが訪れたベネチア・ビエンナーレは1895年より開催されているもっとも歴史の古い展覧会です。今年は114年目なので57回目と言いたいところですが、第1次世界大戦、第2次世界大戦で一時中断したので、今回は52回目の開催になります。「あれ？でもベネチア・ビエンナーレって毎年開催してない？」と思う人もいるかもしれません。たぶん、ベネチア・ビエンナーレ・建築展と混合して見ているのかもしれません。来年2008年は11回目の建築展が開催されます。 <br />
<br />
ベネチア・ビエンナーレの会場は大まかにいって三箇所です。 <br />
■ジャルディーニ公園：メイン会場 <br />
■アルセナーレ：造船所の一人のキュレーターがまとめる展覧会 <br />
■街中に点在する作品 <br />
それに、世界中から人が集まるビエンナーレにあわせて周辺で様々な企画展などもあります。 <br />
ジャルディーニ・アルセナーレに各一日、街中に2?3日は必要なので、合計4?５日必要になります。街も美しいので、ゆっくりしたい人は一週間ほどあれば楽しめると思います。 <br />
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入場料は色々な種類がありますが、基本的には15ユーロで、学生と26歳以下は8ユーロです。他の美術館なども学生と26歳以下は半額というのがほとんどで、ユミソンは入り口で「学生でしょ？」と聞かれ、「（学生じゃないのに）学生証持ってないけど…」とおそるおそるチャレンジしてみると、「大丈夫よ。学生証もってなくても。26歳以下は半額よ。」と、勝手に半額にしてくれたので、ビエンナーレにとどまらず、一ヶ月ほどの旅行をほとんどそれでやり過ごしましたが…26歳以下でもなかったりして…ダメですよね。ははは。（一応、自分の口から26歳以下ですなんて一言も言わなかったですよ！） <br />
<h3>★お金がなければ、展示もできない </h3><br />
ジャルディーニ公園の中には、各国のパビリオン（建物）が建っていて、国を代表するアーティストが展示をしています。その中で、優秀賞（金獅子賞）が選ばれます。パビリオンはどの国も同じ大きさの同じようなテントが並び、その周りには屋台も並んで、お祭り騒ぎです…というのはウソです(笑)。パビリオンは国ごとに大きさも建築スタイルも違います。各国がお金を払って土地を買い、そこに国を代表するパビリオンを立てているのです。なので、仮説住宅のような建物ではなくて、しっかりと何年ももつ建築物です。そして、お金の持っている国しかジャルディーニ公園の中には入れません。 <br />
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メインストリートにはヨーロッパのパビリオンが並び、その周りに日本館も含んだ建物が並び、小さな川を越えた場所に、エジプトなどのパビリオンが並んでいます。ハイチやペルーなどの小さな国々は、公園に入れないので街中の施設を借りて展示をします。展示をしない（できない）国もまだまだあります。中国はすでに（満員の）公園に入れないので、アルセナーレの一角にパビリオンを建設しています。国の代表に選ばれていない作家が個人的に（国代表ということではなくて）街中に展示をしたりもします。小さな国のグループ展よりも（欧米の）個人作家の展示の方が断然立派で大きな場所の場合もあります。 <br />
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そんなこんなのベネチア・ビエンナーレ。どこを切ってもアートの祭典なのは間違いないのですが、政治的背景や財力がモノを言うのもあからさまです。各国の代表を選ぶのも世界情勢や経済的背景で、政治的に競っているのがあからさまです。ベネチア・ビエンナーレのオープニングの後は、世界の個人資産の40％が集まるスイス・バーゼルのアートフェアで作品がそのまま売っていて、お金持ちの人々がこぞって買い付けに来るというのも、興味深いことだと思います。日本は毎回少しトンチンカンだとうわさを聞きますが…戦いはしないけど、失敗をしない路線での選出なのかどうかは、わかりませんが、面白いことです。日本らしいかなと思います。 <br />
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公園の中心部分はイタリア館で、これはメインパビリオンなので、イタリア代表というわけではなく、建物もとても大きく、世界中の有名なアーティストのグループ展になっています。今年は「マクドナルド・パビリオン」と皮肉られるほど、世界中どこでも展示をしている有名作家や有名な作品が多かったです。マクドナルドはお馴染みのファーストフードですが、どこの国や駅前にも必ずあるのでグローバリズムの象徴や、こういった皮肉によく使われる代名詞でもあるのです。 <br />
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で、一人旅のユミソンはここで京都のアーティスト・Ｍさんと待ち合わせ。そして同じYH(ユースホステル)のフランス人のフランク（本当はちょっと違う名前だったけど…発音できなくて…フランクと呼ばさせて頂いておりまちた☆）と三人でジャルディーニに見学にきました。ジャルディーニの入り口ではillyカフェが無料でコーヒーを配っていたり、天候も良いし、なんだかよい感じです。 <br />
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さー！次回は、各国のパビリオン紹介す。 ]]></content>
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