経済について私が知っている二、三の事柄:22.
こんにちは。ユミソンです。現代美術家です。
今日は、2007年1月に雑誌、「論座」に掲載された記事を紹介しますね。タイトルは<「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。>。
筆者は赤木智弘さんという北関東に住む31歳のフリーター。赤木さんは現在の「平和な社会」を「戦争」によって変革し、「フリーター」である自分の「今の状況」を変えるチャンスを欲しています。突拍子も無いドンデモ話のようですが、この記事を読むと笑えない現状が浮き彫りにされていて、引き込まれてしまいます。
そしてひっぱたきたい「丸山眞男」というのは、wikipediaによると以下のようです。
赤木さんは、≪結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱≫で、≪夜遅くにバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらずに働いて、明け方に家に帰ってきて、<…>夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト先に行く。この繰り返し。≫。
それだけ働いても≪月給は10万円強。≫なので、十数年経っても実家を出る財力も結婚する財力もつけられません。この状況は、何度もユミソンの周りのお友だちたちから聞いたことがあります。赤木さんとユミソンの年齢が近いというものあるのかもしれません。就職時期がちょうどバブル崩壊時期と重なったこの世代は、就職できないままに現在まで来てしまって、年齢的にも「マトモな仕事」に就くチャンスが少ない世代です。
≪ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。<…>しかも、この情けない状況すらいつまで続くか分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。≫
そんなに嫌なら、もっとマトモな仕事をして生活を変えればいいじゃん!と言っても、新卒や今までどこかで「マトモな仕事」をしていた人ならともかく、バブル崩壊直後に就職期を迎えた私たちには、「マトモな仕事」に最初から就けるチャンスがなく、≪ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した職業とはほど遠いものばかり≫。そして、それが悪い歯車となって「マトモな仕事」の輪に入る入り口が見つからず、希望を持つことは現実離れした妄想となってしまいます。
ユミソンが赤木さんの文章で興味深いと思ったのは、入り口のないこの歯車の名称を「平和」と名づけたことです。≪平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。≫
「マトモな仕事」に就けない私たちはそのままに、「マトモな仕事」をしていたバブル世代の人たちはその現状維持に力を注いでいくのが今の社会のあり方のようです。私たちをフリーターのままにしながら≪「それは努力が足りないからだ」≫と批判する、「平和な社会」には希望はありません。そして≪このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。≫と続いています。
ちょっと話が変わりますが、漫画「AKIRA」を描いた大友克洋の初期作品に「気分はもう戦争」(共作:矢作俊彦)というのがあります。昔に読んで、今手元にないのでうるおぼえで申し訳ないですが、中ソ国境間の戦争にデコボコ三人組が参戦しているというギャグ漫画でした。そしてさらにうるおぼえですが、主人公たちは戦争を欲しているような振る舞いをしています。誰かを殺したいとか、やっつけたいとかじゃなくて、戦争という絶えず変化のある状況に身をおきたいという感じです。
内容はだいぶ違いますが、何かしらの「変革」というファンタジーが、大友克洋の「気分はもう戦争」にも赤木さんの「希望は、戦争。」にも漂っているような印象を受けます。国家への信頼が無いところも似ていると思います。しかし、決定的に違うのは赤木さんが欲している「戦争」は、気分でも漫画でもなく現在進行形で膨張していることです。
現に「戦争」を欲する≪ネットウヨクの社会運動は、彼らのブログが人気を集めて検索サイトのトップに表示されたり、マスコミに「ネットにはこのような声がある」と紹介されたりすることによって、インクが混じるとほんのわずかだけ色が変わる水のように、それとなく社会に浸透している。それは彼らのやり方が有効な社会運動として機能しているということだろう。≫とつづり、≪「国民全員が苦しみつづける平等」を望≫まざるを得ないと言っています。
ユミソンは赤木さんとは別の意味でも社会的弱者なので、戦争なんておこったら真っ先に虐げられてしまいそうで怖いです。そんな未来はまっぴらゴメンです。でも、赤木さんのこの文章に感慨を受けるのも事実です。そして面白いことにユミソンは赤木さんよりも少ない月収の時もあります。アーティストなので定職にも就いていません。貯金もなけりゃ、結婚も、子どももありませんし、「国民全員が苦しみつづける平等」の前に「日本国民」でもありません。
こんな、何もないユミソンがなぜ赤木さんと同じように「戦争」に走らないのかと言うとと、たぶん社会に参加しているという自負があるからだと思います。フリーターは社会に参加していないという疎外感や屈辱感もあるのかと思います。アーティストとして社会に参加している、関わり合いを持っているという自信が、「変革」を望みはするものの「戦争」を望むには至らない理由なのかなと思います。
キルケゴールが「死に至る病」でも書いている通り、人間には「希望」が必要です。それはもう本能が求めるのと同じレベルの欲求だと思います。赤木さんが求めた「戦争」という「希望」は、今の経済至上主義の社会が生み出した副産物としての「希望」でもあるのかなと思いました。
<「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。>
http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html
ではまた次回!
今日は、2007年1月に雑誌、「論座」に掲載された記事を紹介しますね。タイトルは<「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。>。
筆者は赤木智弘さんという北関東に住む31歳のフリーター。赤木さんは現在の「平和な社会」を「戦争」によって変革し、「フリーター」である自分の「今の状況」を変えるチャンスを欲しています。突拍子も無いドンデモ話のようですが、この記事を読むと笑えない現状が浮き彫りにされていて、引き込まれてしまいます。
そしてひっぱたきたい「丸山眞男」というのは、wikipediaによると以下のようです。
丸山 眞男(まるやま まさお、Masao Maruyama 1914年3月22日 - 1996年8月15日)日本人の政治学者、思想史家。専攻は日本政治思想史。戦後まもなくの1946年に発表された『超国家主義の論理と心理』をはじめとする、戦前日本の軍国主義やファシズムに関する論考は、論壇のみならず広く敗戦後の日本人に衝撃を与えた。以後、戦後民主主義思想の展開において、指導的役割を果たす。戦前の天皇制を「無責任の体系」という言葉で表現したことは有名。また、サンフランシスコ平和条約をめぐる論争では「平和問題談話会」の中心人物として、1960年の安保闘争を支持する知識人として、アカデミズムの領域を越えて戦後民主主義のオピニオン・リーダーとして発言を行い、大きな影響を与えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7
赤木さんは、≪結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱≫で、≪夜遅くにバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらずに働いて、明け方に家に帰ってきて、<…>夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト先に行く。この繰り返し。≫。
それだけ働いても≪月給は10万円強。≫なので、十数年経っても実家を出る財力も結婚する財力もつけられません。この状況は、何度もユミソンの周りのお友だちたちから聞いたことがあります。赤木さんとユミソンの年齢が近いというものあるのかもしれません。就職時期がちょうどバブル崩壊時期と重なったこの世代は、就職できないままに現在まで来てしまって、年齢的にも「マトモな仕事」に就くチャンスが少ない世代です。
≪ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。<…>しかも、この情けない状況すらいつまで続くか分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。≫
そんなに嫌なら、もっとマトモな仕事をして生活を変えればいいじゃん!と言っても、新卒や今までどこかで「マトモな仕事」をしていた人ならともかく、バブル崩壊直後に就職期を迎えた私たちには、「マトモな仕事」に最初から就けるチャンスがなく、≪ハローワークの求人は派遣の工員や、使い捨ての営業職など、安定した職業とはほど遠いものばかり≫。そして、それが悪い歯車となって「マトモな仕事」の輪に入る入り口が見つからず、希望を持つことは現実離れした妄想となってしまいます。
ユミソンが赤木さんの文章で興味深いと思ったのは、入り口のないこの歯車の名称を「平和」と名づけたことです。≪平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。≫
「マトモな仕事」に就けない私たちはそのままに、「マトモな仕事」をしていたバブル世代の人たちはその現状維持に力を注いでいくのが今の社会のあり方のようです。私たちをフリーターのままにしながら≪「それは努力が足りないからだ」≫と批判する、「平和な社会」には希望はありません。そして≪このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル世代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。≫と続いています。
ちょっと話が変わりますが、漫画「AKIRA」を描いた大友克洋の初期作品に「気分はもう戦争」(共作:矢作俊彦)というのがあります。昔に読んで、今手元にないのでうるおぼえで申し訳ないですが、中ソ国境間の戦争にデコボコ三人組が参戦しているというギャグ漫画でした。そしてさらにうるおぼえですが、主人公たちは戦争を欲しているような振る舞いをしています。誰かを殺したいとか、やっつけたいとかじゃなくて、戦争という絶えず変化のある状況に身をおきたいという感じです。
内容はだいぶ違いますが、何かしらの「変革」というファンタジーが、大友克洋の「気分はもう戦争」にも赤木さんの「希望は、戦争。」にも漂っているような印象を受けます。国家への信頼が無いところも似ていると思います。しかし、決定的に違うのは赤木さんが欲している「戦争」は、気分でも漫画でもなく現在進行形で膨張していることです。
現に「戦争」を欲する≪ネットウヨクの社会運動は、彼らのブログが人気を集めて検索サイトのトップに表示されたり、マスコミに「ネットにはこのような声がある」と紹介されたりすることによって、インクが混じるとほんのわずかだけ色が変わる水のように、それとなく社会に浸透している。それは彼らのやり方が有効な社会運動として機能しているということだろう。≫とつづり、≪「国民全員が苦しみつづける平等」を望≫まざるを得ないと言っています。
ユミソンは赤木さんとは別の意味でも社会的弱者なので、戦争なんておこったら真っ先に虐げられてしまいそうで怖いです。そんな未来はまっぴらゴメンです。でも、赤木さんのこの文章に感慨を受けるのも事実です。そして面白いことにユミソンは赤木さんよりも少ない月収の時もあります。アーティストなので定職にも就いていません。貯金もなけりゃ、結婚も、子どももありませんし、「国民全員が苦しみつづける平等」の前に「日本国民」でもありません。
こんな、何もないユミソンがなぜ赤木さんと同じように「戦争」に走らないのかと言うとと、たぶん社会に参加しているという自負があるからだと思います。フリーターは社会に参加していないという疎外感や屈辱感もあるのかと思います。アーティストとして社会に参加している、関わり合いを持っているという自信が、「変革」を望みはするものの「戦争」を望むには至らない理由なのかなと思います。
キルケゴールが「死に至る病」でも書いている通り、人間には「希望」が必要です。それはもう本能が求めるのと同じレベルの欲求だと思います。赤木さんが求めた「戦争」という「希望」は、今の経済至上主義の社会が生み出した副産物としての「希望」でもあるのかなと思いました。
<「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。>
http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html
ではまた次回!
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